「dog ear(犬の耳)」とは、本を読んでいるときに気になるところがあったら、ページの端をちょっと折って、印をつけること。
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確かに百四十文字しか書けないTwitterは散文的というよりも韻文的、詩的なコミュニケーションに近い。それは時に迫真の言葉となり、時に感動的であろう。
しかし、詩は行間を読むものだ。そこに自由なイメージを投入できる。そうした余白を想像力で埋めていく読解スタイルは、事実の輪郭を定めつつ報じる報道には、実はなじまない。Twitterは報道の新しいシステムではなく、世界をひとつの声で同時につなぐ、巨大なミサのような「信仰」の空間をつくったのではなかったか。
だからアメリカ人は、仕事がなくなって首を切られて、しかたなく別の職場で前よりも安い給料で働くようになって、当面の間新しい自動車は我慢しなければならくなったとしても、買い替えの時期が来ているんだから1年もすれば必ず新しい自動車を買うのだ。
車の長期所得弾力性が1.1だという数字はそういう意味で、たとえこのままアメリカ経済の回復が止まって、実質経済成長率がマイナス1.0%のままになったとしても、長期的な自動車の需要は(それに1.1を掛けた)マイナス1.1%にしか減らないということなのだ。
そして経済学の大原則は、短期に引き起こされたギャップは、長期では必ず修正されるということを示している。
あとになって、この日食べたトウモロコシの量を計算する別の方法も見つけた。バークレー大学の生物学者トッド・ドーソンに、マクドナルドの商品を質量分析計にかけて、商品中の炭素のうちトウモロコシ由来のものはどれぐらいか、計算してもらったのだ。
(中略)
トップが清涼飲料だったのは、その原料の大部分が高果糖コーンシロップだということを考えれば不思議はないが、この日食べたほかのメニューもほぼすべて、トウモロコシの絞める割合が高かった。トウモロコシ度の高いものから並べると、測定結果は、清涼飲料(一〇〇%トウモロコシ)、シェイク(七八%)、ドレッシング(六五%)、マックナゲット(五六%)、チーズバーガー(五二%)、フライドポテト(二三%)となる。結局、雑食動物の目には見事な多様性があるように映った食事は、質量分析計の目を通してみると、もっと特化した動物の食事なのだ。これが工業食動物が行き着いた姿だ。ユーカリしか食べないコアラのように、トウモロコシしか食べない動物。
ここで注意すべきことがあります。ヒトとチンパンジーのゲノムの間で違っている部分が、両種の形態や機能の違いにすべて関与しているわけではないということです。ゲノムに見られる違いのうちで、形態や機能の違いに関与しているものは、むしろごく一部であろうと、多くの研究者は考えています。(古賀章彦)
(略)
また同じDNA配列であっても、遺伝子が転写される際に重要な領域のDNAには、メチル化やアセチル化などのさまざまな修飾がなされるため、ゲノムDNAでは決まらない(後生的またはエピジェネティクスな)変化も、ヒトとチンパンジーの違いを生み出すための重要な源となると考えられています。実際に、ヒトとチンパンジーの遺伝子発現を脳や肝臓、精巣などで比較したところ、脳や肝臓ではおよそ八パーセント、精巣では三二パーセントもの遺伝子において、メッセンジャーRNAの量に差が見られました。一パーセントの違いしかない遺伝子領域と比較して大変大きな違いがあることがわかってきました。(郷康広)
こうした一連の思考ー行為の連環の中で、「意志」と呼ぶべきものは、身体運動を起動させる瞬間に働くものであるというよりは、むしろ行為の場面から一歩身を引いて、あれこれ考えているときに働いているというべきであろう。
えっ、そんなことはとっくに承知している? そう、実際は結構な割合の人々は脳科学の啓蒙書ではないことは承知のうえで、このような本を買っているのかもしれません。いずれにせよ、脳研究で使われる造語と、宣伝のための脳科学風造語との区別は、そうそう簡単なことではありませんし、実際問題として両者の距離はそう遠いものではありません。
ある意味では、未来について唯一確信をもって言えるのは、そこでは常識が通用しなくなるということだけだ。魔法のような二〇年周期など存在しない。歴史のパターンは、単純な力に支配されてなどいない。歴史上のどの瞬間にこの上なく永続的で支配的と思われたことも、信じられないほどの速さで変わり得る。時代は移りゆくものだ。国際関係においては、いま目に映る世界は二〇年後、あるいはもっと近い将来に目に映る世界とはまったく別である。ソ連崩壊は予想外の出来事だった。それがまさしく肝心なところなのだ。従来の政治分析には、想像力が著しく欠落している。流れる雲がいつまでもそこにあると考え、誰の目にも明らかな、強力な長期的変化に目を向けようとしないのだ。
記憶の保持は、特定のニューロンのはたらきだけで説明できるものではない。また、記憶の保持に特化した領域が脳にあるわけでもない。記憶には、脳の多数の部位が同時に関与しているし、脳の持ついくつもの機能、特徴(脳自体の可塑性、シナプスの可塑性など)が相まって、はじめて記憶の保持が可能になっていると言える。それに関わっている化学反応も多数に及ぶ。さらに重要なのは、記憶に関わるニューロンのはたらき、化学反応は、どれも記憶に固有のものではないということだ。記憶のメカニズムは、はじめからその目的で作られたというより、進化の過程で場当たり的に作られたものの借用、転用ととらえるのが正しいだろう。胎児期から乳幼児期にかけての発達段階では、脳の「配線」が行われるわけだが、記憶のメカニズムは、おそらく、この配線のメカニズムを転用したものだろう。どちらも、経験に影響を受けるところが共通している。
一八三〇年代までには、科学者の大半が、すべての測定結果は、多数の偏りの原因に支配された、そしてそれゆえ誤差法則に支配された、一種の合成物であると考えるようになっていた。かくして誤差法則と中心限界定理により、データそのもの、そしてデータと物質世界との関係を、新しい目でより深く理解できるようになった。
そして一九世紀になると、人間社会に関心をもつ学者もこれらの概念を理解し、驚くべきことに、人間的な特徴や行動の違いがしばしば測定誤差と同じパターンを示すことを知った。そして彼らは誤差法則を物質科学から新しい人事の科学へと、応用範囲を広げようとした。
日本の所得格差が拡大していると言われ、問題になっている。しかし、多くの統計的な検証によると、それは高齢化に伴う現象で、高齢化の影響を調整してみると、格差はそれほど広がっていない。職業や地位による所得の佐は年齢が上がるにつれて開いていくため、もともと高齢者は他の年齢層に比べて格差が大きい。高齢化で所得のばらつきが大きい人々が増えれば、社会全体の格差も広がるという。
世間では、体に人工物を装着している人をサイボーグと呼ぶことが多い。だがはっきり言って、それは間違いだ。たとえば、人工股関節置換手術を受けた人はサイボーグではない。なぜなら、人工股関節はその人の行動を制御したり、洗濯したりするわけではなく、あくまでも立つ、座る、歩くといった動作を補助するための機械装置にすぎないからだ。(中略)サイボーグのサイボーグたるゆえんは、もしも……ならば……、そうでなければ……という決定を下し、人体を制御してそうした決定を実行するソフトウェアがあることだ。
重要なのは、「人体を制御する」という部分である。シリコンチップを体内に埋め込んでいるだけではサイボーグとは言えない。
(中略)
真のサイボーグ技術は、何らかのかたちで人体を制御する。たとえば、心臓ペースメーカーは、徐脈性不整脈を感知したときに作動し、心機能をコントロールする。第一章で述べたように、サイボーグはサイバネティック・オーガニズムの略であり、そこには「生命体を自動制御する」という意味が込められている。
(中略)
そろそろ、ぼくなりの結論を言おう。ある人物に関してサイボーグという言葉を使うからには、その人は、以前は存在しなかった新たな関係をテクノロジーとの間に構築している必要がある。体内の神経終末を電極で刺激し、知覚をコンピュータ制御するというのは、間違いなく、従来にない最新の技術である。
余剰次元にブラックホールが存在すると、それを膜上の観測者はあたかも輻射があるように理解することを先に見た。これに関連して、次のようなことが正しいのではないか、と業界を賑わしていることがある。それは「五次元の重力理論は四次元の物質の量子論に等しい」というものである。(中略)逆に四次元時空で起こっている諸現象は、五次元時空で見直すと重力理論によって記述されるというのである。なんとも。
しかしある状況下では、他人とのスキンシップがほとんどいつも好意的に受けとめられる。それはレストランにいるときだ。
(中略)
1992年にシカゴで行われた実験では、給仕の魅力の差も研究対象となった。チップの額が最高だったのは、非常に魅力的なウエイトレスが女性客に触れた場合で、チップの額が最低だった魅力的でないウエイターが誰にも触れなかった場合に比べて、平均41パーセントも多くチップを受け取っていた。研究者はこの実験に先立ち、食事客を対象としたアンケート調査で、各ウエイターとウエイトレスの魅力の度合いを測定していた。ただし、その結果がこの実験に反映されていることは、各ウエイターとウエイトレスには告げなかった。
ライターの仕事は取り替え可能だ。
フリースは同じものを着ているとわかってしまいます。結果的に苦い教訓が残りました。
しかし、インナーであれば他の人が同じものを着ているかどうか気にする必要はありません。清潔を好む日本人ですから、インナーは複数枚購入することでしょう。ただ安価なだけで業績を上げたわけでありません。安価で高品質であってもまだ足りないのです。そこに「目立たずコストパフォーマンスを取り入れられる」という配慮を加えることによって、大きな成功が得られました。フリースの経験後に、あえて高級志向を持ち出さなかったことが功を奏したのです。
技術を上手に活かす企画力こそが、不況下にあって、かえって活力を与えてくれる源となります。